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2010年5月17日 (月)

浜松時代

大宮時代を長くも続けられない(書けばキリがない)ので、長い浜松時代を始めるとしよう。>自分史。

大宮では蓄電池の生産も軌道に乗り、大株主である浜松の渥美哲雄氏の目に留まるに至り

「これを浜松で作ろう、就いては技術屋を派遣せよ」、との至上命令が下り、ミックさんと私に2ヶ月ばかり技術指導のお役目の指示が下りた。

渥美氏はHONDAの協力工場の社長だがHONDAが風邪を引くと我が社は肺炎になる。この流れを絶たねばと言うわけで、かなりの資本を投下したらしい。

先ずは実験工場の建設、稼働に向けて大仕事が始まった。

=つづくよ=

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コメント

播磨屋さま、いつもありがとうございます。
ご返事遅れました。(-_-;)

以後しっかりやりますれば、どうかご贔屓に、、、。

昔、徳川家康は浜松から江戸へ転勤になって永住しましたが
平成のヨさまは、家康の名代で故郷に錦を飾られたようです。

先日、お邪魔した浜松市雄踏町は東海の気候温暖で風光明美な
浜名湖に近く、何より活きのいい魚の美味さは感動ものでした。

人生のストーリーは不思議なもの、それぞれの流れがあります。
あの日の決断も、やがて土地に根付いて自分に帰ってきます。

いつも温厚で優しいヨンさまは、雄踏町の気風そのものですね。
浜松で蒔いた種が大きく実る様子の実況を楽しみにしています。

ミックさん、まいどコメントありがとね。

>2ヶ月の滞在がこんなに長くなろうとは、露知らず・・・浜松への島流しと嘆いたもんです。
浜松の料亭「竹本」に接待されてコロッといっちまったもんね。宴も終わる頃、「家財道具一式、雄踏の寮に運ぶよーに」

>破格な待遇に惹かれたことだしね。六畳一間の寮での共同生活も我慢できました。
あのころはが懐かしいなぁ。若竹寮の角部屋で若い寮生の番長のような存在だったよね。

>給料の大半をバーの飲み代に・・・お互い若かった。
そうそう、バー「赤と黒」だっけね。2件目は体格の良い美人?ママの居る千歳の「スナックL}だった。

>あのころのHONDAはおもしろい車を作っていたっけ、360cc4キャブの軽トラ、、、
最初に買った車が中古のスズライト、その次にHONDAのオートバイ(新車)を仕入れて浜名湖1周したよねぇ。
ムカシはヨカッタ、、しみじみ。

2ヶ月の滞在がこんなに長くなろうとは、露知らず・・・浜松への島流しと嘆いたもんです。破格な待遇に惹かれたことだしね。六畳一間の寮での共同生活も我慢できました。給料の大半をバーの飲み代に・・・お互い若かった。あのころのHONDAはおもしろい車を作っていたっけ、360cc4キャブの軽トラ、いずれ軽のスポーツカーに・・・・まぼろしに終わっちゃった。みんな夢を追っている時代だった。

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